ぼくが音楽をやる理由。


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CDアルバムを作る上で色々と考えています。
このアルバムで何を伝えたいかということもそうなのだけど、
そもそも、どうして音楽をやっているんだっけ?ってことも。
随分と長い(本当に長い)雑記になりますが、ご容赦を。

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中学校3年生になる年の4月1日からギターを握った自分ですが、
それ以前、中学校1年生くらいの時には、家にあったカセットテープレコーダーに
鼻歌やアカペラで曲を作って録音していたことがありました。
後で、コードを当てはめてみたら、JPOPの黄金コード進行だったのは、
気付いた時には嬉しかったけど、今は何だか複雑な気分。(F G Em Am ですね。)
だって、ある意味ありきたりってことだもんね。

なぜギターを始めたのか。それは成り行きだったと言ってもいいと思います。
当時、友だちだったSくんに誘われて、
何故か登校日だった4月1日に音楽室に遊びに行ったのです。
そこで音楽のK先生にギターを教わりました。

教わったといっても、K先生はギターは弾けなかったから、
目の前でコードを弾いて、音が合ってるかどうかを尋ねたりしたんだけど、
下手くそでもなんでも、微笑みながら聞いてくれる人がいることは、
本当に幸運なことでしたね。それから家で練習しては学校で先生に聞いてもらう。
というような日が続きました。

当時、兄貴か母の尾崎豊のCDを聞いていて、始めにとりかかったのは尾崎豊の曲でした。
当時、尾崎豊はもう亡くなっていて、ブームも随分前だったはずなのに、
すごく影響されていて、一生懸命になっていた覚えがあります。
そして、ギターを初めて半年後から、曲を作るようになりました。

いまでも当時のボロボロのノートは残っています。
やたら「愛してる」という歌詞が出てくる曰くつきのノートが。

そして高校1年生くらいになった時に、プロになりたいと思うようになりました。
だからデモテープオーディションに応募したり、
毎日、曲を作ったりカラオケに行ったり、
勉強そっちのけになったのもこの時期からでしたね。

どうしてプロになりたいと思ったのか。
それは単純に「曲を作ることが楽しかった」から。
それだけなら作曲者でも良かったかもしれないけど、
自分で作った歌を歌いたかったんだと思います。

今思うと、当時の作っていた曲や歌の完成度の低さはすごい。
笑っちゃうくらい。何がどうひどいのか、当時は自分を客観的にも見られなかった。
そして、以前にブログで書いたような気がするけど、
高校3年生の時に自分の高校の文化祭のテーマソングに応募して落っこちます。
それがきっかけでDTM(打ち込み音楽)を始めるようになります。

これまた当時のMIDIデータを見てみるとひどすぎて笑えるくらい。
ドラムは何本手がいるんだ!?だったり、
ハープをコードでストロークしたり、一体どんな演奏なんだっていう。
でも、それが楽しくて楽しくて、一曲づつ少しずつうまくなっていきました。
ベタ打ちから、ベロシティ(音の強さ)をいじるようになり、
それぞれの楽器を勉強して、アレンジをすることの楽しさを覚えていきました。

そして地元の大学に入ります。
大学1年生の時には2chDTM板の方々と一緒にCDを作ったりしたこともありました。
(今見てくれてる人はいないと思いますが、ほんと色々迷惑をおかけしましたm(_ _)m)
それから大学期間中にデビューへの糸口を作ってやる!と、
作曲に励む日々。でもやっぱり、デモテープ応募してもひっかからない。
「音楽無理かなぁ?」と思って、就職活動をし、地元の金融機関へ。

会社員としての生活はすごく、すごく辛かったように感じます。
一生このまま定年まで毎日が過ぎていくなんて考えたら、気が狂いそうになった。
だって、本心では音楽がやりたいんだもんね。
そしてそんな思いを歌にして吐き出しました。
会社員として日中働き、家に帰ってきたらひたすら曲を作る日々。
ぼくはそれらをWEBページでアップロードし続けていました。

これくらいの時期に、フィッシュマンズを聞くようになりました。
フィッシュマンズはぼくが一番好きなバンドです。
フィッシュマンズは空気や雰囲気を曲にしているんですよね。
ボーカルの佐藤さんが価値を置いているであろう風景、空気を、
音楽という媒体を使って表現している。
そうして作った音楽は売れるとか売れないとかいうあまり考えずに、
佐藤さんたちはそうしたかったし、そうしなきゃいけなかったんじゃないかと思う。
だから嘘がないし、すごく価値のあるものを生み出したんでしょうね。

さぁ、社会人3年目に差し掛かる時に、手ひどい失恋をします。
色んなことが分からなくなって自暴自棄になりそうだった心を埋めてくれたのは、
結局作曲だったような気がします。色んな曲を書きました。
その失恋が尾を引いている頃、インターネット上でとある方と知り合います。

Rさんは随分とぼくの音楽を好きになってくれて、後ろを押してくれました。
今までの自分じゃいられない。前に進まないと……ということで、
そこで初めてぼくはライブハウスでライブすることになったのです。
後押しの声がなければ、ぼくはライブなんてすることはなかったでしょうね。
2009年の5月のことだったと思います。

初めてのライブの時には、北海道からと大阪から、当時のぼくのWEBページを
見てくれていたファンの方が二人、わざわざ秋田まで駆けつけてくれました。
ぼくは当時から曲のテンポがどんどんと早くなってしまう。俗にいう「走る」傾向があって、
完成度としては、本当にひどいライブだったかもしれません。
それでも、お二人がお越しになってくださったことが本当に嬉しくて、
終わってから一緒にお酒を飲みに行きました。

それからライブハウスでのライブを継続的に行うようになりました。
誰もお客さんが来ないこともザラ。ライブってしんどいなぁ。と思っていました。
でも、それは結局お客さんに喜んでもらいたいという意識よりも、
「うまくステージをこなさないと……!」という思いでライブをしていたからなんでしょうね。
楽しませるまでの余裕がないんですね。経験不足が大きかったと思います。

しかし、当時の自分はライブをしたこともないのに、
プロになりたいなんて粋がっていたんですよね。随分とめちゃくちゃな話です。
まぁ、ライブをしないアーティストもいるでしょうが。

会社を辞めることになったきっかけは、
ライブを後押ししてくれたRさんから、Rさんからお母様への気持ちを伝える歌
「mother」という歌の作曲依頼を受けたことでした。
人のために歌を作ること、その歌を喜んでもらえたこと。
音楽って喜んでもらえるんだ。という、衝撃!!
本来、当たり前なはずのことことなんですけどね。

そして会社をやめました。
やめて一番最初にしたのは、自分が今一番価値を置くものをCDにしよう。ということでした。
それが2010年に発売した「白日の日」というCD。

白日の日は今聞いても、当時頑張ったな。と思うんですが、
「頑張ろう」とか「愛している」とか、ポップの要素は全くなく、
自然があって、人がいて、人が落ち込もうが立ち上がろうが、
自然はありのままそこにあり続けるということを歌ったものでした。
それはぼくにとっての真理で、絶対に間違っていないと信じられることでした。

今までで300枚売れたかなぁ?

そうなんですよね。自分の価値を置くものを真剣に作っても、
それを聞いてもらえるようにプロモーションしなければ聞いてもらえないんです。
満足のいくものを作って心は満足でも、財布の中は全く潤っていないわけです。

「白日の日」を作ってからすぐの頃、「ちんあなごのうた」を発表しました。
今までコミカル路線のものを作ったことことも世間に公開したこともなかったのですが、
ニュースで取り上げて頂いたり、水族館で流してもらったり、グッズにしてもらったりしました。
それが、ゲームになり、水族館へのライブとなり、仕事へと繋がっていきます。

そして今度は「秋田HATA☆HATA☆ROCK&SAMBA!!」という作品を作ることになります。
この動画でもって、秋田県内の様々な所へ営業へ向かい、
様々なステージで歌わせて頂くようになりました。
こちらも歌を歌うことで対価を頂く、仕事になりました。

そして、今に繋がります。
白日の日から今まで、約4年間、色々な曲を作ってきましたが、
それらはライブやイベントステージに向けた曲が多かったように思います
こういう歌があれば喜んでもらえるかなぁ?とか、
こういう歌があればライブが盛り上がるかもしれない。とか。
それは別に悪いことじゃないし、どんなアーティストにもあることだと思います。

でもそれは今まで積み重ねてきた部分と、わりと逆方向のことなんですよね。
自分の価値のあると思うものアレンジを含め作りこんでいくことと、
ライブに向けて自分の思いを生で歌い伝えられる弾き語り用の楽曲を書くことは、
内向きと外向きへと向かう真逆のベクトルな気がする。

そしてやっぱりライブで歌おうとする曲って、どっかカッコつけちゃうというか、
カッコつけようとしてかっこわるくなっちゃう感があった気がするんです。
良い子になっちゃうんでしょうね。その感覚をいったん捨てて、
自分の気持ちをそのまま歌にしようと思ったのが、去年の今頃。
竹原ピストルさんのライブを見たのがきっかけですね。
そこから意識が少し変わってきました。

だから去年の曲は、自分にとって思い入れのある曲が多いんでしょうね。
本気で思っていることしか曲にしていないから。

そして、冒頭に戻ります。
今、CDアルバムを作っています。
何を表現したいのか? どうして音楽をやっているのか?
それをここ最近、考えていました。

そしてその答えがやっと出た気がしています。
というか、ずっと気付いていたんですが、それを認めるのはどうなのか。とも思っていました。

ぼくが音楽をやる一番の理由は、
「自分にとって価値があると思う風景や考えを音楽にして残したい」ということです。
それは「聞いてくれた人がどう思うか。」ということは、一旦脇に寄せた考えなんです。
「聞いてくれる皆を元気づけたい!」とか「喜んでもらいたい!」とか考えていないんです。
(自分が作った音楽で喜んでくれる人がいることはとっても嬉しいですけどね!!
人を喜ばせることが、音楽をやる目的じゃないということです。)

こうして音楽をやる理由を表に出すことは、随分と怖いことな気がしています。
いや、気がしていました。でも、今この文章を書きながらよくよく考えたら、
ぼくが好きなアーティストが、ファンが喜ぶような曲ばかり選んで書くような人たちなら、
ぼくは好きにならなかったかもしれない。と、ふと思いました。

たぶん、ここで大切なのは、
ぼくが音楽をやる理由を自分自身で認めたということだと思います。だって、今までは
「聞いてくれている人たちのために歌っているんだ!」って思い込もうとしていたのだから。
それは正直言って、随分自分勝手なことですよね。
例えば、まちなかのステージイベントで歌っている時に、
強制的に聞かせた上で、あなたたちのために歌っているんですよ~!!
なんて、思いながら歌っている人を見かけたら、ちょっとムカッときますよね。
でも、ぼくは今までそういうことをしていたのかもしれません。

急に思い出しました。
東日本大震災の際、Sさんという方が被災地に連れて行ってくれました。
何度もボランティアに行ってらっしゃる方です。
岩手県の山田町に行った後、その方と秋田市に帰ってきてからお酒を飲みに行きました。
「ボランティアは自分のためにやっていると思わないと続かない」と仰っていました。
ボランティアで被災者の方に喜んでもらったら嬉しい。
その嬉しいと思う自分の気持ちのためにボランティアをするんだ。ということなんです。

ぼくは自分のために曲を作りたいと思います。
そしてステージに立ったら、その曲を作った時の気持ちを、
ぼくが価値があると思うものを、めいいっぱいのパフォーマンスで伝えたいと思います。

じゃあ、ぼくが今、価値を置いていると思うものは何?
というのは、CDでその答えを皆さんに聞いていただきたいと思います。
だからぼくは今、CDのための曲作りとアレンジをしっかりやらなければ。

本当に長い文章になってしまいました。
5000文字! 原稿用紙12枚分。
お読み頂いた方、どうもありがとうございました。
こんなぼくですが、応援していただけると嬉しいです。

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